運上館
あ ゆ 料 理
上記は当店自慢の焼き方です
伝 統 (揖斐川資料館の資料による。)
運上梁として数百年以上引き継がれたお店です。
運上館(旧運上梁)
文禄年間の古田兵部少輔の河川運上改めの際、房島簗場は小島川六分一役運上の中に含まれ、以後運上梁とも称するようになった。年間三十〜四十両の運上金の納めうるほどよく獲れていた。
文和二(1353)年後光厳天皇の小島行幸の節清水郷士杉原与左衛門が鮎を献上し杭瀬川を賜う、すなわち、文禄の川運上改めの際、すでに旧来の慣行となっていた房嶋梁が運上金納入の義務づけの反対給付として梁打ちの独占権を獲得したものと推察することができる。
簗場は、出水によって破壊されることがしばしばで、また流路の変化で架設場所の変更を余儀なくされることもあった。
寛政十年の洪水以後は、五ヶ村井水落井を応用し、ほぼ現在地付近に築かれてきた。
掛け軸(我が家の家宝)
約150年ほど前に描かれた、高橋杏村作の水墨画である。
下記写真は明治40年代に運上梁(右)として鮎を捕獲し、お客様に鮎料理を提供(左)していた風景の写
真です。また、左の写真のテントの後ろが現在の運上館です。
や な に つ い て |
鮎が成熟し産卵の適地を求めて一斉に川を下る頃に備えて、急流を斜めに堰止め、水流を片岸に誘導して長さ約四十間、幅三・五間ほどの竹簀棚を張り水と共に落ちる鮎を獲る方法が梁でありまして、その架設には一ヶ所二、三百万円の費用を要するのであります。 |
鮎は水平位と雖も晴れて冷えこむ夜中から暁に特によく落ち、又降雨後、秋風が吹き始める頃、群をなして撥刺と簀上に躍り落ちるのであります。梁は一朝大雨で河水が増嵩する時などは数百貫に及び豊漁の時もありますが一面危険水位に禍されて水魔の一瞬にして流出の惨事に合う事もあります。 |
簗場は八月中旬から十月下旬までが好時期でありますが最もよいのは九月中旬であります。 |
(揖斐川の鮎)特に油の乗りきった落鮎は美味で、食通として有名であった故営佐垢氏が当地方の梁鮎を賞して実に日本一であると折紙が付けられた事もあります。 |
(揖斐川のやな)落鮎を求めて年毎に観光客が増えるのも最もでありましょう。川辺に設けられた座席で一パイ、川風に吹かれ、揖斐川の流声を聞きながらキュウッときこしめすのはオッなものであります。 |
◎ 参考の為に載せました。
※ 鮎の美しい食べ方
鮎の塩焼き 鮎を立て尻尾を取る
鮎を上から軽く押さえ骨と身をはずす 鮎のエラの所で皮をはがす
鮎の頭を持ち皮と身を挟み軽く頭を引く 鮎が骨と身とに分かれる
鮎の塩焼きは皮に振られた塩と皮・身を一緒に食すのが美味しい食べ方です。また、魚田も皮に塗られた味噌と一緒に食すのが
美味しい食べ方です。
皿には骨だけが残ります。
(なお、当店の焼き方は最初のページの写真にあるように、竹串で立てて炭で焼く為に皿に鮎の脂が残りませんので、鮎自体が甘くサッパリとして美味しくいただいてもらえると思います。)